「何度もこの針にじっと目を凝らしてください。
あなたにはこの針の動きから私の心臓の鼓動を感じ取って欲しいのです・・・。
このクロックがあなたに新たな愛の始まりを打ち鳴らすときが訪れたら、
どうか、私たちにとってかくも長い間甘い逢瀬の時となっていた真夜中の零時に思いを馳せてください」
アブランテ公爵夫人
モーリス・バランクールに贈られた「ブレゲ・メカニカル・クロック」に添えられた手紙より。1813年
創始者 アブラアン-ルイ・ブレゲ
「時計界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称された天才時計師アブラアン‐ルイ・ブレゲは1775年にパリで時計ブランド「ブレゲ」を創業しました。
自動巻機構、ミニッツリピーター用ゴング・スプリング、永久カレンダー、ブレゲひげゼンマイ、マリン・クロノメーターといった画期的な機構を開発し、中でも1801年特許を取得したトゥールビヨンは当時の懐中時計の精度を飛躍的に高めました。また機構だけでなく、ブレゲ針、ブレゲ数字、ギヨシェ文字盤、コインエッジなど、ブレゲが生み出したデザインも、現代の多くの時計に用いられています。
アブラアン-ルイ・ブレゲはヌーシャテルで生まれ、職人としての人生の大半をパリで過ごしました。彼は時計製造に関するあらゆる事項を学び、彼の多岐にわたる重要な発明の数々はこのパリを舞台に開花しました。
彼のキャリアは、一連の画期的な機構の発明によって幕を開けました。自動巻機構の開発に成功した「ペルペチュエル」時計や、ゴングを採用したリピーターウォッチ、テンプのテン真を衝撃から守る初の機構「パラシュート」などです。
ルイ16世と王妃マリー・アントワネットは、ブレゲの初期の愛好家でした。ブレゲの工房から誕生する時計には、最新の改良が加えられた独創的なムーブメントが組み込まれており、そこには彼が完成させたレバーやルビー・シリンダー脱進機が用いられていました。
フランス革命が勃発すると、アブラアン-ルイ・ブレゲは革命の騒乱から逃れ、スイスで避難生活を送りました。「ブレゲひげゼンマイ」、ナポレオンに販売したブレゲ初の携帯用置時計「キャリッジ・クロック」、「パンデュール・サンパティーク(シンパティック・クロック)」とそれに付随する腕時計、「モントレ・ア・タクト」、そして1801年に特許を取得する「トゥールビヨン」など、その間に発明した多くの機構を携えてパリへと戻りました。
ブレゲはやがて、科学者や軍人、金融家や外交官など当時のエリートたちにとって欠かすことのできない時計師になりました。彼のタイムピースは、ヨーロッパのあらゆる宮廷でも賞賛を浴びました。ブレゲは、最も名声を誇る顧客たちのために特別の時計を製作しました。ナポリ王妃のカロリーヌ・ミュラのために1810年に製作された、時計の進化を2世紀早めることになる最も注目すべき時計、すなわち初の腕時計もそのひとつです。時計製造技術に関する彼の計り知れない貢献を称えて、さまざまな名誉が授けられました。経度委員会のメンバーに選ばれ、海軍のクロノメーター製造者に任命された彼は、ついで科学アカデミーの会員になり、ルイ18世からレジオン・ドヌール勲章を授かるまでになります。
アブラアン-ルイ・ブレゲが1823年にこの世を去ったとき、科学と芸術の両方において時計の世界に偉大な革命をもたらしたこの人物の死を誰もが悼みました。
ブレゲの考案した時計機構とデザイン
ギヨシェ文字盤
ブレゲ針
個別の番号
シークレット・サイン
ブレゲ数字
ケースバンドのフルート模様
トゥールビヨン
クロノグラフ
パラシュート機構
自動巻
世界初の腕時計
ブレゲ ひげゼンマイ
上記以外にも、現在に至るまで活用されている機構やデザインがあります。
クラシック
5177BB/15/9V6
4,224,000円
18Kホワイトゴールドケースにシルバー仕上げゴールドダイヤル(手彫りギヨシェ模様)
日付表示、自動巻。
ひげゼンマイとアンクルと脱進機にシリコン素材
サファイア・ケースバック(透明裏蓋)
3気圧防水(30 m)
ケース径38mm
クラシック レディ
9088BB/29/964/DD0D
5,082,000円
8Kホワイトゴールド、ケースバンドに繊細なフルート装飾
べゼルとラグにブリリアントカット・ダイヤモンド66個(約1.04カラット)
サファイア・ケースバック(透明裏蓋)
ケース径30mm
3気圧(30m)防水
“グラン・フー”炉焼きエナメルダイヤル