“時計と海”
おはようございます。
今日は時計と海との関連について、紹介したいと思います。
大航海時代の18世紀ヨーロッパでは海外貿易が繰り広げられる中、
安全航海するにあたり正確な経度を測定できずに遭難事故が相次いでいました。
イギリスは1714年、経度誤差が1度以内の測定方法を考案した者に、
「国王の身代金」の相当する賞金を設定したのです。
1等賞 経度誤差が2分の1度以内の精度で経度を決定
2万ポンド(現在の数百万ドルに相当)
2等賞 経度誤差が3分の2度以内
1万5千ポンド
3等賞 1度以内
1万ポンド
経度の1度は赤道上で60カイリに相当しますので、
1度の何分の1といってもかなりの距離になります。
実用的な方法といっても、経度法の条件下では
目的地の到達に何キロずれることもありえます。
にもかかわらず多額の賞金を出すことにしたのは、それだけイギリスという国が、
航海の悲惨な現状を憂いていたからです。
18世紀のイギリスで素晴らしい時計を作った男がいました。
40年という長い歳月をかけて作った時計は5個。
男の名はジョン・ハリソン。
1693年3月イギリスのヨークシャーで生まれました。
大工になる予定だったジョンは努力家の機械設計の天才でした。
彼から製作されたH-1からH-5の5つの時計はどれも正確に動作し、
基準を満たすものでしたが、経度評議委員会はすぐには賞金を出さなかったのです。
ライバルがやっかんでいたのと、賞金の額がちょっとやそっとではなかったからです。
時の経過は40年にもなろうとしていました。
息子のウィリアムが国王のジョージ3世に謁見し父の苦労を申し述べ、
そしてついに1773年6月にジョン・ハリソンは経度問題を解決した功労者として、
賞金の全額を受けとったのでした。
その昔、多くの天文学者が星に望みを託したグリニッジ天文台は、
経度0度、つまり子午線の起点となりました。
やがて、全世界がグリニッジ平均時を基準に時間を合わせるようになり、
我々が現在使っている標準時間が作られました。
本日のひと:砂田智明(日高本店プロショップ 勤務)