世界遺産の地へ
以前より行きたかった世界遺産の地『軍艦島』へ行って来ました!
宮崎ICから高速を上り、鳥栖ICから長崎へ約4時間、
軍艦島クルーズ船『ブラックダイヤモンド号』に乗船して、ツアーを満喫しました。
ツアー運航は午前と午後があり、10日前に午後を選びました。
長崎到着後にランチをして、2時に出航!
長崎港内の有名スポット紹介され、もう一つの炭鉱の島『高島』へ上陸、
『高島石炭資料館』で、予備知識を入れて軍艦島へ向けて出航しました。
軍艦島と言われる角度より写真撮影。
第一印象は、廃墟。
ツアー搭乗員の方の話しがとても素晴らしく、
全盛期の人波や機械の音が聞こえてくる感覚がしました。
ここで、私の便利ツール『ウィキペディア』では…
端島 (長崎県) – 長崎県長崎市の島で、かつて炭鉱としてにぎわった。
1974年(昭和49年)に無人島となり廃墟化しているが、
2015年(平成27年)7月に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、
造船、石炭産業」の一つとして世界文化遺産に登録された。
もう少し詳しく…
1810年頃、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。
80年ほど経過した1890年、三菱が島全体と鉱区の権利を買取り、
本格的に石炭の発掘が開始された。
石炭出炭量の増加に比例するように、端島(軍艦島)は急成長を遂げ、
1960年に約5200人が住んでいた。
当時の人口密度はなんと世界一。
東京人口密度の9倍以上とも言われるほど!
端島(軍艦島)内には、病院・学校・寺院・神社・派出所・映画館・理髪店などがあり、
端島(軍艦島)の中だけで何不自由のない生活が出来ていた。
だが、端島(軍艦島)は狭い島なので、病院・学校・寺院・神社・派出所・
映画館・理髪店などが密集していた為、建物と建物の間はとても狭く、
上へ上へと高層化の住居が多く立ち並ぶ。
時代が進み、主要エネルギーであった石炭が、石油へと移ることにより
衰退の一途をたどり、1974年1月15日に閉山。
そして4月20日に全ての住民が島から離れ、端島(軍艦島)は無人島となりました。
端島(軍艦島)の魅力とは・・・?
人々の好奇心を掻き立てるのは、島全体が繁栄当時のまま廃墟で残り、
テレビや家電や生活の名残りがそのままで、昭和の生活を実感することが出来る点。
現在、1974年から禁止されていた一般立ち入りは解除されて、
毎年数多くの人が訪れるようになったそうです。
当時の、ありのままの姿で無人島になった端島(軍艦島)は、
2001年それまでの所有者であった三菱マテリアル株式会社から、
正式に高島町へ譲渡され長崎市の所有となり、
2008年「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として
世界遺産暫定リストに追加記載されることとなり、端島(軍艦島)は注目を浴びます。
そして、2009年4月より島への上陸が許可され、観光・見学が可能になりました。
さらに、2015年「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の
構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されました。
端島(軍艦島)は、長さは約480M・幅は約160M。
現在は、見学通路と3か所の見学広場、桟橋のみ上陸が認められています。
*詳しくは、(有)高島海上交通さんへ
約3時間のクルーズでしたが、大変良い経験をしました。
日本の世界遺産、歴史に触れる事が出来て、心もリセット出来ました。
軍艦島お勧めです!
建物の廃墟が、建物のままで見れる(崩れ落ちる為)のは、今の内かもしれません。
気になった方が居ましたら、同じ気持ちとして嬉しい限りです。
それでは、良い6月をお過ごし下さい。
本日のひと:緒方(日髙本店プロショップ 勤務)
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